柔道の創始者こと嘉納治五郎は、優秀な理系学生だったそうです。柔術を研究するのに力学、物理、人間の構造を徹底的に研究しることにより解明していったのだとか。共感しました。嫌でも今の自分のアプローチにダブらせて見てしまいます。
決定的な違いは、師匠の技を分析したのに対し、私はお手本がないのでより力学、物理、人間の構造への依存度が高くならざるを得ません、実証作業を怠っては、思い込みという渦にいつでも飲み込まれてしまう危険をはらんでいます。
決定的な違いは、師匠の技を分析したのに対し、私はお手本がないのでより力学、物理、人間の構造への依存度が高くならざるを得ません、実証作業を怠っては、思い込みという渦にいつでも飲み込まれてしまう危険をはらんでいます。
コメント
コメント一覧 (2)
どんなに技術があっても、自分の精神をコントロールできなければ、『負けて』しまうこともあり得ます。
また、その実戦の場というのは、この法治国家ではあってはならないことになっているのですが、実際に危機に瀕して戦わなければならない状態になった時に、戦いだけに専念することができるか(過剰防衛となって犯罪者となるリスクを意識しないでいられるか)、実に難しい問題だと思っています。
考え過ぎかな?
生活の場面場面において、もしここでいきなり襲われたら、こうしよう。ああいう場合はああしよう。そういう場所ではそこに立とう。と常々シミュレーションしています。