ファイト武録

月下
聖杯伝説 宝物み〜つけた! Since 2005
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カテゴリ: 真理

長年のボクシング、武術の経験から、今更だが、最近つくづく改めて思う。

やはり、目が大事だ。相手をよく見ること。

格闘技では、相手を見るのは当たり前になる。目を逸らそうものなら、あっという間に攻撃を受ける。どこから、どうやって、いつ仕掛けてくるかわからない。常に見て警戒していないと痛い目にあう、身をもって知っている。

武術の稽古はちょっと危険だ、内観や自己観察しがちで、約束のある型稽古では相手への注意がおろそかになりがちだ。もちろん、それでたどり着く境地もあるだろうが、途方もない時間がかかる。

だから武術では目を一に置いているのもある、と思う。

WS000047


瓢漂会
AF:無力化法、瓢理
KV:崩し理論、漂理

車のタイヤの摩擦について考えてみました。

直感的に、
太いタイヤのほうがグリップが増す。
空気圧の高い、ちゃんとエアー満たしておいたほうが摩擦が減り燃費が良くなる。

と予想するのはみなさん同じではないでしょうか。

でも、これって果たして本当だろうか?

たしか中学くらいに習うクーロンの法則では、摩擦力は垂直加重に比例し、その比例定数は物質固有の一定の値。つまり接触面積には影響を受けない。

念のため調べてみると、クーロンの法則と記憶していましたが、実はクーロンより前に、時系列順でいうとレオナルドダビンチ、アモントン、その後がクーロンでアモントンの法則とも呼ばれているようです。

ともあれ記憶は正しかった。でも、体験的にも先の予想は正しく思えてしかたがありません。

いろいろ調べてみると、実はゴムのような弾性体ではアモントンの法則は破られる、のです。予想は満更間違いではなかった。弾性体では比例定数は接触面積により変わりうるようです。

他にも色々あります、表面といってもミクロで見ると、表面の凹凸があるため、滑りというよりはひっかかりだったり、これはミクロでなくてもツルツルの表面にギザギザ傷つけてやれば、結果は容易に想像できます。タイヤが変形することによる元に戻ろうとする力。細かいことや証明はいっさい省いてつまり、
  1. 接触面積の増加→摩擦大

  2. 硬さの増加(空気圧や密度の増加)→摩擦少

  3. 物体の大きさの増加→摩擦少

と、どうやら言ってよさそうです、測定データも裏付けてます。硬さの増加は接触面を減らすから。3番目の物体の大きさというのもしっくりきます、先日重いポットを両手で挟むように受け取って落とさないようにと慌てたことから、摩擦について考えるきっかけとなりましたが、ポットが同じ重さでも小さかったら何も閃くことはなく、だったかも知れません。

参考
ブレーキ性能評価
摩擦力
アモントンの法則の系統的破れ
ゴムの摩擦力の不思議

瓢漂会

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恐らくロボットの分野というのは最先端のひとつなのではないかと思います。色々読み漁っていると、手という器官は個人差がたいへん大きいそうです、ということは、それをロボット化しようとすると、その難しさのため、研究は追いついていないようです。

手というのは握る装置ということに集約されるようだ、また興味を引かれたのは親指のみ作りが他の指とは異なる、母指球の下には筋肉があるのでふくらんでいる、親指は強力ということ。

自分の知識から、また、人の筋肉・骨格は梃子構造により力がだせる、それも力を犠牲に精密さを優先させた梃子になっている。

これらのことから、手の内について考えてみるのもアイデアです。

参考

digitalhand2003.pdf

瓢漂会

前に、腕ほどきで上げ手してしまう仲間のことを書きましたが、その腕ほどきに最近磨きがかかってしょうがありません。

本人は押える相手の手を上げることを、勿論、目指していますが、するすると押さえをほどいて自分の手が上がっていきます。こちら押える側からすれば、せめて指の第一関節くらいでひっかけられそうなものなのですが、どうしようもありません。ほどけてしまうので、こちらは別に崩されたり、浮かされたりということはまったくありません、幸か不幸か。自分の経験の範囲で不思議な思いをしたのはごく僅かしかありませんが、これこそ摩訶不思議と言ってよいです、もう笑ってしまうだけです。

上げ手にあと一歩だとか、何か足りないというより、上げ手の隣にある、上げ手を表とすれば裏、あるいは元々は逆だったのか。といった印象を受けます。上げ手は腕ほどきから生まれたという説もあります。

この不思議さ、文章にするのは難しいのですが、こちらの押えている手のなかを滑るように抜けていくのです。小手を素肌直に押えていても、胴着の上からでも関係ありません。滑る、現にその証拠に胴着の上から押えていると指のハラが摩擦でヒリヒリしてきます、翌日指紋が消えているくらいですから、スベスベになってしまう。

どんなに力で対抗しようと準備していても、動き出すとどういう訳だか力が入らないような不思議さです。

腕ほどきというとこれまで梃子を利用した方法とばかり思っていましたが、確かに梃子だと「ほどく」と言うより「外す」「切る」が当たってます、実はこのように滑るようにほどいてしまうのが本当で、高度な技術なのかな、と思います。

改めて、上げ手は腕ほどきから生まれたのか、と考えさせられます。

瓢漂会

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いつのことだったか、どこかの本の誰の言葉だったか、タイトルの言葉を読んで印象に残っています。

有言実行といえば、サッカーの本田選手や香川選手は具体的に何歳でどこのリーグに入って、と小学校の文集とかに書いていて、それを実際に実現しています。

有言実行というのは自分に強いプレッシャーをかけます、ビッグマウスと聞けば自信過剰にもとられがちですが、宣言してしまったからには、その実現へのプレッシャーはすごいことでしょう。

必ずしも有言実行が良いわけではありません、不言実行でも、それぞれ個人のスタイルにあったやりかたで良いのです。わざわざ宣言せずとも、自分に強い規律を持っている人は、むしろあえて宣言せずともかまわないのです。

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答えを出すな。

説明するな。

言葉に変えるな。

合気メデスを求めて、私が繰り返し発した言葉でした。
答えや説明は、可能性を限定してしまう。言い換えれば他の可能性を潰してしまう。

人の脳は「わからない」ことを嫌う、それらしい解釈が目の前にあるとすぐ飛びついてしまう。「わかった」ことにしたいからだ。また「わからない」ことに耐えかねると、既存の知識、断片的な情報だけで説明してしまう。

「謙虚」な態度とは「わからない」ことを受け入れることのできる態度で、謙虚な人は自分がとういう誤りをしやすいかを知っていて、常に警戒を怠らない。フィーリングや小さいことにも常に注意を向け、仮設を立てることはあっても、それを結論とせず、新たな情報を基に絶えず仮説を更新する用意がある。

得られた情報にすぐ解釈は加えず、いったん奥にしまい熟成を待つ。色々な情報を同時に検討し、一つのことをあらゆる角度から見る。じっくりと見る。

物事をすぐ決めつけず、慎重な態度を維持していれば、無意識が働きだす、大量のデータ(些細のデータを含む)を自由自在に組み合わせ、全体を捉え、真理に近づく。

「わからない」、不安な状態に何カ月、何年も耐えた後にようやく達成することができる、全体が見えるばかりでなく細部までよくわかる。

「メティス」。


p380〜382より




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