ファイト武録

月下
聖杯伝説 宝物み〜つけた! Since 2005
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上げ手

上げるが先か、掛けるが先か

「掛かるから上がるのか」、「上がったから掛かったのか」。

最初のころ繰り返し自分に問うた問いかけだ、きっと同じ疑問を持つ人もいるはずです。

今、振り返るとこれは明白ですが、ここへ至るまでは、何度も何度も考えました。

冷静に考えれば、後者が正だとすると矛盾が生じる、手が上がった状態で無力化されたとするならば、手を上げていく過程では力を使っていてもかまわないことになってしまうからだ。「力はまったくいらない」と矛盾する。

このことからも前者が正解となる。相手が抵抗できない状態にされてしまっているから、手はいとも簡単に上がるのです。つまり上がるが良しとするのではなく、上げる前とその過程が問題だ。

なぜここに上げる過程も入れたかというと、上げる過程で掛け直すことをしょっちゅうやっているからです。

なかなかどうして、上げる前に完全無力化というのは難しいことです。初期の抵抗をなくしたとしても、ちょっと上げると次の抵抗点があったりする。サッとやってしまうのもありだが、この場合それを失敗とせず、その抵抗点でもう一度掛ければ良いし、そしてまた次の抵抗点で、といった具合に。細かくかける、繰り返しかける。

それらが切れ目なくつなげるのが、動的にかけるということになる。

それに対し、難しい完全無力化の場合は、いわば静的にかけて、あとは上げるだけとなり、上手くいくと、やはりこちらのほうが気持ちいいものです。

では、手が上がったことの意味は、動的上げ手では無力化も完了し、浮いた状態。

静的上げてでは、単に浮かされた状態、と言って良い。

物事に絶対は難しいのだから、両方できないとならないし、動的から始めて静的を目指すのが良い。

手を上げる伸筋

左手首を傷めました。ドアノブを回したときに、左手首、小指側の尺骨のつけ根あたり、電気の走ったようなするどい痛み。ドアノブといっても軽いレバータイプのもの、ドアも軽い。もったときのノブと手の位置関係がよほど悪かったのでしょうか。腫れるでもないので自然治癒を待つばかり。

そこで気づいたのですが、私の場合、日常生活わりと左手を頻繁に使っているようです。なにかにつけて「痛ぁっ」となります。日常動作はそれこそまったく無意識に反応しているだけ、普通にしている分には痛みも感じないのです。「痛ぁっ」となって思い出すのです、「そうだ痛めてたんだ」。

おかげさまで、毎日の木刀素振りは一時中止せざるを得ず、やっと、一番軽いので再開しました。最も軽いの、それは二天一流の長剣です、知る人は知る、私の知る限りこれより軽いのはないんじゃないでしょうか。

軽すぎるのもなかなか難しいのです、とてもブレやすくまっすぐ振るのもなかなか。したがって正しく触れているか確認するにはもってこい。

軽いわけですからなかなか疲れずなのですが、それでも三百も振ると、正しく振ろうとしているし、いわゆる伸筋郡が疲れてくるわけです。

おや、思わぬことに気づきました。この伸筋郡の感じ、座りの両手上げ手のときと似ているではありませんか。いくら力が要らぬとは言え、そうはなかなか。ただ手を上げる運動を繰り返すだけでも力ゼロというわけにはまいりませんし。

どうやら、伸筋郡は参加しているようです。

怪我の功名。

瓢漂会

王道上げ手

合気の秘密を解き明かすには、座りの両手で行う上げ手を研究することだそうだ。

ここで、道から外れないためには、と考えて整理してみました。瓢漂会でのはなしですけれど。

受けと捕りをはっきりさせておくことが大切です、押える受けが上げる捕りの邪魔をしたり、倒しにいってしまっては見えるものも見えなくなるでしょう。しっかり役割分担して学習効果を早めます。

両手でおこなうこと、親指と残り4本の指でしっかりつかむ(握る)、この辺は物理的に考えても、安定が得られるし、それに受けの自由度も下がるので、よけいなことを省いて集中できます。これらは直感的にもそうではないでしょうか。強いて例えてみましょう、自転車に初めて乗ろうとしたとき、いきなり手放し運転から挑戦したりしません、しっかり両手でハンドルつかんで安定させるのも、当たり前のようですが秘訣のひとつです。

力いっぱい、まっすぐ上から押えるのも大事。なにせ研究するのは相手の力を抜くことなのですから、そっと押えていては、軽く乗せる程度のものでは、はたまた押えないなんて。はなっから、ない力を抜くことはできないではありませんか。

いかに手を上げるかに集中すること、相手を転がす必要はありません。これも同じで研究すべきは相手の力をいかにして無力化することです。遊びで崩してしまうことは楽しいですけれど、それが目的になってしまってはなりません。

そして最後に、ゆっくりと行うこと。どのような技術、技芸でも最初はゆっくりと始めて、徐々に要領を得てスムーズになっていきます。サッとやってしまう、というのは武術的には良いけれど、それはそこを目指していくのであって、サッとやればできるけど、ゆっくりだと出来ないなんていうのでは、それは技術と呼べないでしょう。

瓢漂会

皮膚感覚

偶然テレビを見ていました。

九十九里のハマグリ漁はシーズンになると猟師さんが海に歩いて入っていって、足がつくギリギリの深さくらいのところで足の裏の感覚のみをたよりに探り当て、用意してあった道具で掬っていくようなものでした。九十九里の波は砂を巻き上げて足元はまったく見えませんから長年の経験で培った足裏で見ます。

きっと、足裏の感覚というのは重力とかバランスとかリアルタイムにフィードバック、フィードフォワードされ、鋭敏なことだろうと思います。皮膚感覚も、誰でもそうだと思いますが、歩いていて何か鋭敏な、例えば画鋲の先のようなものを踏みそうになった瞬間、足を着地することなく回避できた経験があろうかと思います。

同じような機能は手の平にも備わっているはず、逆立ちも熟練して歩けるようになると、重力を感知できるようになるでしょうし。触覚はもちろんのこと、熟練した職人さんは掌や指先の感覚で信じられないような技術をお持ちでしょう、匠の技。

小手周りはどうでしょう、残念ながら、おそらくそこまで鋭敏ではないでしょう、生活の中で手の平や足裏と違って小手の触覚をたよりにすることはありませんし。上げ手ではそんな小手の皮膚感覚を養っていかないと、育てていかないとなりません、どうしたって上達するのに時間を要します。

上達への近道はありませんが、少し早める良い提案があります。手の平の触覚は優れていることを思い出してください。それを生かせば良いのです、つまり、上手の人の手を押さえる中で探っていくことです、上手な人がどのように手の内を作っているのか探ることには、優秀な手の平の皮膚感覚がとてもたよりになる、心強い友となります。

瓢漂会

ゆっくりと上げ手

考えてみれば当たり前のことであります。

技術を身につけるなら、それがどんな技術であっても最初はゆっくりと丁寧に学んでいきます。

ここのところ瓢漂会の稽古は、できる限りゆっくりと上げ手を行っていました。するとどうでしょう、いろいろこれまで気付かなかったことが、細かいところで特に得るものがありました。

サッと、やってしまうというのは、それはそれでありだと思いはしますが、そういった細かいところに気づかず、ということになってしまい、もったいない。どうして気づかないって、サッとやってしまうと単純に速すぎる、気づくものも気づかず、そんな短すぎる観察時間ではわかるものもわからない(そっか、隠すならサッとやってしまえば良いか)。

速い、というのは、それが本当に技術なのか、技術ではあるのでしょうが、その技術がどれだけ上手なものなのか。速いと、タイミングであったり、スピードであったり、力という要素が多く、その中から技術のところだけ取り出して向上するのが難しくなります。

ゆっくりだと、ごまかしがききません。スピードなしにタイミングも皆無、、おまけに力を使っていれば、使っているのがよく自覚できます。力使い過ぎだなと反省できます。じゃぁどうやったら上げることができるだろうって、技術に向き合うことができます。上げながら途中で修正も、2度、3度とかけ直すこともできるようになります。目をそらしてはいけないのです。

どんな技術もゆっくりと丁寧に練習をかさね、少しずつ、少しずつ、肩の力が抜けて時間をかけて向上してゆきます、無駄なもおのが削れ、シンプルに速く、早くなってゆきます、それが上達、ではありませんか。

もしあなたが、あるいはあなたの手がすっと揚げられてしまうなら、ゆっくりとやってみてください、ゆっくりやってもらってみてください。するとそれまで知らなかった発見がたくさんありますよ。

きっと。

瓢漂会

休憩上げ手

夏も本番、稽古もキツイ季節を迎えています。そんなとき瓢漂会では座りの合気上げ稽古の時間が増えます。誰が呼んだか「休憩上げ手」と申します。

立ち稽古は受け身とって立ちあがるので、どうしたって体力使います、ましてやこの暑さの中、だんだん重力が堪えてきます。足の筋肉は腕よりはるかに血液を必要とします、酸素を多く消費します。泳ぐときにストロークよりキックのほうがはるかに消耗が激しいことでも良くわかります。

そこで座りの合気上げ、上げるのにほとんど力は要りません。もちろん受け側で押えるのに全力で臨みますが、上半身を総動員しますが、前述の通りです、足を使う訳ではないのです。

どれくらい力が要らないかというと、喋りながらゆっくり手を上げていくことができます。深呼吸しながらゆっくり上げていくことができます。ゆっくりと上げながら指先を動かしたりするのもなんのその。でも、しゃべったり、深呼吸したり、指を動かしたり、そっちに気を取られてはなりません、手の内の技術に集中しなければ。ちょっとでもあまくなると、途端に力になってしまいます。手の内の皮膚感覚が頼り、感覚を研ぎ澄まして集中、集中。少し前までは骨格的なことだと思っていましたが、今は、こんなに単純な物理的なことだったんだって思ってます。

いつも稽古は上げ手から始めます、すぐに汗ばんできますから、まだまだ力使ってますね。回数を重ねるに反比例して力は要らなくなります、そして喋りながらでも深呼吸しながらでも、指で遊ぶことも。だから、今の課題は稽古のあたまから力なく合気上げができるようになること、これは技術ですから、練習を一つずつ積み重ねてちょっとずつ上達していくしかないのです。

瓢漂会

肩の力インディケーター

自分で自分の肩に力が入っているか認識するのはけっこう難しい。メチャクチャ入りまくっていれば、それはわかる。他の人に肩が上がっているよと指摘してもらうのもあり。でも、それが見た目にでないほどの力だと、なかなか、自覚は困難になってしまう。

座り上げ手の場合簡単に判断できる方法があります。それ指を自然にノビノビ開いておくのです、つまり「朝顔の手」です。これは、いわばインディケーターの役割もしてくれます。

手を上げていくとき、自然に開いた指が閉じたり、縮こまったりすると、それは肩に力が入っています。特に厄介なのが親指、親指はもっとも力の強い指、最後の最後まで力を抜ききってしまうのがとても難しい。私もつい最近まで、親指がどうしても縮こまってしまっていました。そこを乗り越えるのに、とても苦労しました。コツをつかむために泳いだりしました。

逆に言えば、自然にノビノビと指を開いていれば、肩の力は抜けるのです。

「朝顔の手」さま様です。

瓢漂会

手の内と肩の力

瓢漂会での座り上げ手は、押さえ握られている手の内の微妙な操作で行います。なんだかご尤もな表現で、何言ってんだかって感じですが、他に言い様がないのも、そうなのです。そしてそれには手の内の接触面の皮膚感覚をたよりに探っていくしかないのですが、相手の皮膚感覚をだますとか、相手の脳の働きをどうするとか、そういうことでは決してありません。

今になって考えてみればそれは、力学的にも理にかなっていることでした。

直接その接触部を器用に細かく動かすことができればよいのでしょうが、そうもいきません。それで指の向きだったり、指を伸ばす、手の開き加減、手首の角度、肘の位置、などを駆使して調整していきます。

そうやって手の内を作ってしまえば、あとはスッと上げてしまえば良いのです、練習量に比例して上達していきます。上達していくはずなのですが…

瓢漂会

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受け入れがたかった事実

残された疑問のひとつの大きなものに、「鍛えていないとできない」なる言葉がありました。

力と技術は相反することに思えてなりませんでした、強大な力を得ることができたなら、多少下手な技術であったとしても、勝利を得ることができる。また一方、技術を究めれば極めるほど、力は要らなくなる。

徹底的に技術に特化してたどりついた合気メデス、その数式を眺めていても、力は限りなくゼロに近づけることが、理論上はできます。

しかし実際はなかなか理論通りにいかない、そこを補う上で鍛える、ということが必要なのだろうか。

ただ、相手にやられないため、自分を要塞のようにするのだろうか。

それが最近、合気揚げを追及するにあったって思わぬ方向に。

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ミレニアム問題

ここ数週間、悩み続けさせられている問題があります。

座り合気上げ、どうして今のやり方だと相手の力を抜いてしまうことができるか、です。もうこれは我々にとっては大問題です。それがわかれば色々と大きく進めるんじゃないかと期待しています。
しかし、なぜ無力化してしまうのか、その仕組みがわからないのです、まるで「神の手」のようです。ですから応用しようもありません。それこそ私のミレニアム問題です。

そこでネット検索、物理、骨格、筋肉など、何か手がかりになるものはないか。でも残念ながら、どれもピンと来るものが見当たりません。そうこうしていると、やはり検索キーワードにかかってくるものの中にはどうしても合気ものが含まれてきます。普段一つを除いて他のサイトはほとんど拝見しないのですが、まぁ試しにいくつか覗いてみました。

目を引くものに、まず、手の内に複数のテコを組み合わせて施す、というものがありました。テコは物理ですから、どれどれ。しかしながらどうも私の好みのものではありませんね、そもそもテコの種類が気に入りません。

続いて、手のある点を刺激すると無力化できるというもの。具体的にどことは見つかりませんでしたが、フムフムこれは思い当たるところがないではありません。想像してもあれなので、そこで深く考えずやってみました。実験です。すると、今出来ているやり方で押している、その思い当たる部分を押しつつ、さまざまな角度や向きを試してみました、あくまでもその部分は押してます。どうでしょう、
...
...
...
あるいはこれで手がくっつく?それもありか?

まぁしばらくはあせらずあせらず。
やっぱり浮気心はいけません、ついつい弱気に安易な答えも求めすぎたようで深く反省します、自分を信じなければ。まだまだ今のを上達しないといけないし、じっくりいくことといたしましょう。

おや!でも待てよ!これって大東流の一〜五か条、コバ、甲、小手返しなど掴み手とある共通点が…

これは、これもやはり物理…

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