ここのところ雨模様な日が多いです。傘を持つのは面倒だし、人の傘が混んでる電車の中ではけっこう、ぶつかってうっとうしい。
腕にかけて、他に気をとられ、特にスマホに夢中という場合がこのごろはほとんどでしょうが、傘の先端への意識や気遣いはまったくない人が多いです。
たまに、腕の外側に掛けて、先端が自分に向くようにエチケットのある人はいますが、多くは内側掛けで先端が外を向いています。それが隣や前の人に当たろうがお構いないし、というか気づかない。画面に集中。
それだけの集中力があれば、どんな分野でも成功しそうなものだ、と思ってしまいますが。画面への集中力をどんなことにでも使う方法はないだろうか、と考えてしまいます。
さて傘の持ち方ですが、どうして内掛けの人がほとんどなんでしょう。
その掛ける起こりから、動作が内掛けへとなるのが自然なのでしょうか。
あるいは、手の内側の皮膚に傘の柄を感じるほうが安心感があるのでしょうか。たしかに、外掛けをやってみるとなんだか落ち着かない感があります。小手の内と外では神経の密度が違うのでしょうか。
稽古で手の内のことを考えてばかりいると、そんな、ひょんなことが気になるもんです。
瓢漂会
腕にかけて、他に気をとられ、特にスマホに夢中という場合がこのごろはほとんどでしょうが、傘の先端への意識や気遣いはまったくない人が多いです。
たまに、腕の外側に掛けて、先端が自分に向くようにエチケットのある人はいますが、多くは内側掛けで先端が外を向いています。それが隣や前の人に当たろうがお構いないし、というか気づかない。画面に集中。
それだけの集中力があれば、どんな分野でも成功しそうなものだ、と思ってしまいますが。画面への集中力をどんなことにでも使う方法はないだろうか、と考えてしまいます。
さて傘の持ち方ですが、どうして内掛けの人がほとんどなんでしょう。
その掛ける起こりから、動作が内掛けへとなるのが自然なのでしょうか。
あるいは、手の内側の皮膚に傘の柄を感じるほうが安心感があるのでしょうか。たしかに、外掛けをやってみるとなんだか落ち着かない感があります。小手の内と外では神経の密度が違うのでしょうか。
稽古で手の内のことを考えてばかりいると、そんな、ひょんなことが気になるもんです。
瓢漂会