ファイト武録

月下
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2013年5月の「小手への集中力とは」という投稿があります、アクセスが多いので久しぶりに自分で読み返してみると、驚きました!

これは小手合気を間接証明を終えた時よりもずっと前のことです、すばらしいことを書いていたではありませんか!

原理そのもがまだハッキリとわかっていないにも関わらず、すでにこの時、そのやり方が経験的、実験的、感覚的にここまで煮詰まっていたとは。それは証明後の今のものとほとんど変わりがありません!

裏を返せば、この時ここまで進んでいながら、その理由がはっきりとわかるまでに長くかかり過ぎてしまった、ということでしょう。

原理は証明した通りですが、そのやり方をもう少し具体的に当時の文章に補足するのなら、

当時の通り、小手への集中力は上げるための力ではありません。手首に近い小手を捕られる上げ手のような場合、小手に力を集約するには、やはり朝顔の手が有効です。力感を求めるまったく必要はなく、肩の力を抜いてノビノビと朝顔を開くようにすれば、小手には十分に力が集中しています。あとはそれを保ったまま上げるだけです、動作の動き出し前後、つまり準備(掛けるところ)と上げ始めにはコツが少々いりますが工夫してみてください。

他に注意するのは当時と同じで、肩や肘、腹筋、背筋、脚、どんな力であってもそれを使って相手の手を上げようとしてしまっては、相手にとってぶつけ返す的をくれてやるようなものです。相手を持ち上げようとせず、肩の力を抜いてゆっくり自分の手を上げてゆくのが、これも、もう一つのコツになります。

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今場所はケガで途中休場、元々、両膝の大きなサポーターが痛々しかったですから、無理して更にケガしてしまったのかも知れません。

照ノ富士関がCMに登場、土俵上のあの厳しい顔とは一転した笑顔をみせ、そのギャップがスモウ女史の心を鷲づかみしているとか、していないとか。

さて、このCMでの投げですが、おやおや、見事な第二種テコ技ではありませんか。ほとんど相手重心は動かさず再度ステップしながら楽々と投げきっています。

瓢漂会でやってるのとも、よく似ています。

必見です!
広東風かに玉「かに玉のないしょ話」篇

瓢漂会

さて、私は合気を証明したのだろうか。

ともかく、今の時点でそれを否定するような矛盾はまだみつからない。といっても矛盾を探すという、その弱い心が狭い。信じたのなら、信じ切って突き進むべきなのだ、進んだうえでなにか、もし何かがおかしければ、それは、違和感となって必ず何か語りかけてくれるはずだ。問題はその違和感を受け入れる、受け止める、真正面から向かい合う、「うつわ」が私にあるかどうかだ。恋は盲目、人が自分の考えに恋するがあまり、何でも良いほうに解釈してしまいがちだが、行過ぎるとストーカーだ。

今、誓おう、もし違和感が現れたときには、決して目を背けないことを。そしてその違和感が確信となったなら受け入れよう、すべてが間違っていたと、そしてまた、まったくのゼロから再スタートをすることを。

何より、これまでずっとそうであった。というより、これまで間違いを認めることで、私は成長してきたのだ、失敗を最高の師としてきたから、ここまでこれたのだ。

思い返せば、これまでの失敗には最高の師達にまぎれて、いくつか、まったく無駄な失敗もあった。少なくとも今の私はそういった無駄な回り道を避けるコツを提案することができる、それは、おおむね次のようなものがある。

まず、稽古で捕り、受けをはっきり役割分担することだ。圧倒的に有利なのは受けなのだ。なぜなら今からどの技を繰り出すか事前に知られている、後方に倒す技なら、受けは捕りがどうするかを事前に知っている。小手返しなら、受けは捕りが自分の小手を極めにくることを知っている。わざと倒れろ、それは稽古だからと効いていない技に倒れてあげる必要はまったくない。しかし、相手の手の内を知っているからといって、その裏をかく必要はまったくない。正々堂々と稽古の範囲で抵抗しようではないか。捕りの後ろへの技に受けが前方に傾き体重を浴びせるような行為は、受けの未熟さを示しているだけなのだ。捕りが何でもありなら、ちょっとかわしてやれば受けは崩され虚となる。かといってそれを捕りがやってしまっては、そもそも技の稽古にならない。小手返しされないために、ゲンコツに固く握りしめてしまっていては、それは小手返しではあり得ない。

負けず嫌い大いに結構、圧倒的な有利な条件下でやられまいとするのではなく、、倒されたら倒し返せばいいじゃないか、そこに努力を注ぐんだ。それであれば条件は同じだし、進歩する方向に向いているのだから。

次に、合気を、いや、今の段階では私が証明した、私が合気と信じるものをほかの誰かが見つけうるには、やはり座りの上げ手がもっとも可能性が高い、そこで、そこに至るもっとも可能性のあるルールをここで示してしまおう。ちょっとした対戦ゲーム感覚で。

  1. 捕りは受けが小手をしっかり握った状態から、自分の手(相手の手ではないことに注意)を相手のアゴの高さまで手をまっすぐ上げる、受けはそれを握った手で押えて阻止する、何のことはない、ただそれだけだ。
  2. 捕りの手が受けのアゴ付近に到達すれば捕りの勝ち、もし途中で止められれば受けの勝ちとする。
  3. そしてその間、たとえ相手の手が解けようが、切れようがは評価しないこと。あくまでも捕りが“自分の”手を上げることができればよし、受けの押えが途中で切れようが、解けようがまったく関係なく捕りの勝利。
  4. 捕りも受けを倒す必要はないが、受けが捕りの手をとり倒してしまうような行為は論外、受けは自分のアゴ付近まで進んでくる相手の手を握り押さえ込み阻止するに徹する。

天才でもない限り、集団の力は個の力を凌駕するのです。捕りの稽古になる上げ手をしてみて下さい。出る杭を打とうとするのは哀しいかな、日本人の好まざる「狭〜い」習性なのです。せっかくの仲間のはずなのに。

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合気は第2種テコとはまったく異なる、予想もしなかった、だけれど、そちらもとても簡単な別の物理で説明されます。

そのことに気づく前、合気の可能性をこの第2種テコという簡単な物理に求め続ける期間が、初めは長くあったのです。このシリーズでは、いくつかの矛盾を示し、それは決して力を抜くことではあり得ず、合気ではないと結論しています。

実は合気でないと判ったので、長年取り組んできたことをまとめてみよう、というのが、このシリーズを始める元々の動機となったのでした。

相手の力を抜くと言うには、どうしても物理上辻褄が合わなかった。ですが、それは最小限の力を有効に使うことであり、体術において、とても効果的です。長年取り組んできたおかげで、いくつかのコツ(必要条件となる)や、第2種テコを使うことで人体が抵抗する仕組みや骨格構造、人の重心にも深く考えることが出来ました。

相撲や柔道にも第2種テコだな、という技もわずか見られます。そしてそれらは良い悪いに関わらず、必殺技である場合が多いのです。

これは確かに力抜きではなかったけれど、おそらくとても良い崩しのアイデアであると確信しています。

それは一言で、

「最大の労を尽くして(動いて)最小の利(効果)を得る」

につきるのです。

瓢漂会

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ゴルフの片山晋吾選手、通算30勝目目指して好発進、その原動力は突然”閃いた”パターにあるそうです。
「昨日の夜にふすまを閉めようとしたら“あれって”急に閃いた。洗面所の鏡の前で繰り返したら“明日やってみよう”って」

いやいや、それにしても前日の夜のヒラメキをいきなり本番で使う勇気もすごいから、そのヒラメキには確信があったのでしょう、そういうヒラメキってなかなか訪れませんよね。またそのヒラメキの内容もちょっとびっくりするようなものです、クラブを握る左手を手の平反対にして、それこそ、ふすまを両手で左方向に閉じるしぐさのようですから。まったく常識から離れている。

日ごろから四六時中ゴルフのこと考えてるんだなと感心させられます、考えることが習慣になってる、生活と一体になっている。体格に恵まれないことも考えることで克服してきたのですね。

たまにヒラメキがあっても、実際試してみるとまったくダメだったって経験多いですからね。

そうそう私にも今週、ポットからヒラメキもらいました。なんかそれがシンクロして、タイムリーなニュースなのでした。

引用
ふすまの引き方

瓢漂会

瓢漂会にひとり悟った人がいる。

何を?

「感覚は当てにならない」と悟ったんだそうだ。

カバンの中を手探りしていてそれが至難の事、見ればすぐ見つかるのに。つまり、ここで言う感覚とは、触覚。手といってもその触覚は手の平、指です、敏感と思っているところですら当てにならない。

それが小手を捕られたとしたら、どうだろうか。

感覚は当てにならない、ここでも何度となく繰り返してきたのですが、このように観察できるような触覚の更にやっかいなところは、それを解釈する脳の働きだ。脳は都合よく解釈する、都合よく書換えてしまうからです。

恋に似ているかも知れない、好きな人の言ったこと、行動を自分に良いほうにとってしまう。それがエスカレートするとストーカーになってしまうではないか。

投資や賭け事だってそうだ、自分のポジション(賭けたほう)に惚れてしまって、どんなに悪い情報が目の前に並んでいても、それらは自動的に無視されるか、スルーされずとも都合よく、最近流行りの拡大解釈というやつで好条件に変えら、仕舞いにはそのポジションと心中してしまう。

また一方で無意識のところは無視できない、それどころかとても大切な感覚でしょう。勘、直感、第六感、違和感、気配、殺気。なんとなくっていうやつだ、そこにはたしかに何かあるのだけれど、説明のできない感覚。そういったところはしっかりアンテナ立てて育てていきたいですネ。

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